2011年2月28日月曜日

木村秋則さんの記事

 「いのちの林檎」上映会の記事(2月28日)で木村秋則さんのことにふれましたが、2008年(平成20年)の日刊スポーツ紙に、木村さんの記事が掲載されていたのをファイリングしてあったので記事を紹介します。

無農薬無肥料8年苦闘

自殺決意の夜に生まれた「奇跡のリンゴ」

 ―人は「奇跡のリンゴ」と呼ぶ。自殺まで考えた8年もの苦闘の末、病害虫に弱く農薬なしでは実らないはずのリンゴの無農薬・無肥料栽培を成功させた。青森県弘前市に住む木村秋則さん(58)。ネット通販は10分で完売し、毎月の来客は2000人を超える。海外にもその技術、精神を伝えに歩く。そのひたむきな姿勢に、農業の在り方、人間と自然の共生に必要なヒントがいくつも隠されていた。―

国内外から来訪者 

 今年もリンゴの収穫時期がやってきた。木村さんが足を運ぶリンゴ畑は周囲と明らかに様子が違う。ほかの畑は下草がきれいに刈られているが、その畑は雑草が生い茂り、あちこちで虫が飛び交う、野山のようだ。

 木村さんは、「これでも雑草は短い方。秋の到来を知らせるため先月刈った。それまでは伸び放題。高さ1メートル2030㌢ぐらいまで生えていたかな」と笑った。

 差し出されたもぎたてのリンゴをかじり驚いた。シャキシャキとした歯触り。同時に訪れる強い甘みと酸味。果汁が口の中にあふれる。初めて食べた味。野趣な香がした。

偶然の本に衝撃

 畑は津軽富士と呼ばれる岩木山のふもとにある。不便な場所に足を運ぶ来客者が絶えない。取材日にも静岡の農業高校修学旅行生が訪れていた。無農薬・無肥料栽培のパイオニアのもとに農業関係者だけでなく幅広いジャンルの研究者や技術者が国内外を問わず訪れる。まるで「聖地巡礼」のようだ。畑を使った実地指導や講演の依頼も増え、全国を訪れている。今夏にはドイツに招かれ、ジャガイモ畑で農業指導もした。

 リンゴはほかの作物に比べ、病害虫の餌食になりやすい。農薬や肥料と切り離した栽培は今も困難だ。木村さんはそんな常識に独りで立ち向かってきた。

 農家の次男だった。少年時代は機会いじりが大好きだった。時計やラジオなど目につく「機械」は片っ端から分解した。「どんなものでも仕組みを知らずにいられない性格でした」。高校卒業後、集団就職で川崎のパイプライン製造会社に勤務したが、兄が自衛隊に入り、跡継ぎとしてすぐに戻された。ところが兄は思い直して家を継ぐ。木村さんは中学の同級生だったリンゴ農家の長女と結婚。婿養子として農薬を使うリンゴ栽培に従事したが、妻の美千子さんが農薬に過敏な体質だったこともあり、トラクターを使うトウモロコシ栽培を並行させた。

 ある日トラクター農業専門書を求め書店に入った。目当ての本を書棚最上段に見つけ、棒で落とそうとしたら2冊落ちた。目当て以外の本に汚れがつき、仕方なく一緒に買った。穀物の無農薬農業を紹介した「自然農法」という本だった。衝撃を受けた。

 「リンゴに応用できるかも」。持ち前の探究心に火が付いた。4か所あった畑の一つを‘実験場’にした。年13回の農薬散布をゼロにしたがすぐに葉が枯れた。2年目も失敗。実験機会を増やそうと3年目からは畑全体を農薬ゼロに。虫を手づかみで取り除き、農薬代わりにあらゆる食品で効果を試したが、畑は害虫であふれかえり落ち葉が積もった。周囲から「目を覚ませ」と忠告された。病害虫の発生源になりかねないため反発も強かった。蓄えは底をつき、借金が膨らんだ。枯れたリンゴの木まで赤紙が貼られた。3人娘の学用品も満足に買えなかった。畑の雑草も食べた日もあった。

借金が膨らんで

 6年目の夏。畑でリンゴ箱を縛るロープを見つけた。何年も使っていない。「もう死のう」。張り詰めていた糸が切れた。「これ以上続けても家族に悪い。死ねば終わる」。35歳だった。ロープを手に岩木山を登った。夜になった。月明かりを頼りに山中を分け入った。木立の中にリンゴの木が見えた。触れてみた。農薬もないのになぜこんなに立派に育ったのだろう。次の瞬間、声を上げそうになった。夢中で根元の土をすくった。匂いを嗅いで口に含んだ。「今まで葉のことばかり考えていた。根のことを忘れていたのです」。

 山の土壌は長い間、微生物によって耕される。「木々は本来、自然の中で生きている。虫や菌が付いても強さを身につけ、逞しく育つ。山の土を畑に再現してみようと思いました」。実は、その木はリンゴではなくドングリだった。「自然が『もうそろそろ木村に教えてやれ』と幻覚を見せてくれたのでしょう。

「葉」ではなく「土」

 畑の雑草刈りをやめ、土壌は徐々に豊かになった。無農薬栽培を始めて7年目の春。花が7つ咲き。ピンポン球ほどの実が2個なった。8年目の春。畑一面に真っ白な花が咲いた。妻と抱き合って号泣した。

 試行錯誤を重ね、収穫量は増えた。その技術を包み隠さず人に伝える。「リンゴの花は、私ではなくリンゴの木が咲かせているのです。自然の力です。人はそれを手助けするだけでいいと知ってもらえればいい。ただそれだけです」。

◇木村秋則 1949118日、青森県生まれ。弘前実業高卒。22歳から農業を始め、農協の指導に沿ったリンゴ栽培をしていたが、78年から完全無農薬・無肥料栽培に挑戦。8年間に及ぶ無収穫期を乗り越えて86年に成功。その後通常栽培とほぼ変わらない収量達成を確立。その軌跡を綴った「奇跡のリンゴ『絶対不可能』を覆した農家 木村秋則の記録」(石川拓治著、幻冬舎)を出版。

   2008年10月20日  「08’人物探検隊」 日刊スポーツ

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